幼少の頃から、戦争というものに関心がありました。もちろん、戦争は人類の最大の関心事ですから、当たり前と言えば当たり前かもしれません。ただ私の場合は、自分の父親が戦争遺児だったことが大きいかもしれません。
父の父、すなわち私の祖父は医師でしたが、戦時中に軍医として中国に出征してました。が、中国で事故によって亡くなり、ついに日本に帰ることはありませんでした。
私が幼少のころは戦争が終わって30年以上たっていましたが、駅前などでたまに手足を失った傷痍軍人さんがいました。戦争で人が死んだり傷ついたりすることはもちろん悲しいことですが、それ以上に戦争が終わった後に生き残った人たちも、様々な苦労をしていることをよく知りました。
私が高校から大学に進学する頃はちょうど冷戦が終わろうとしている時期でした。ベルリンの壁が崩壊し、ソ連や東欧諸国が民主化を進め、東西冷戦が終結して世界は平和になると思われた一方で、冷戦のタガが緩んだ結果、世界各地で国内紛争が頻発するようになったーそういう時代でした。
そのように世界が激変する中で自分は何ができるんだろうかと...漠然と考えたりしていました。
大学受験をしていた頃、夜中にふとテレビをつけるとニュースがやっていて、そこでは中国の天安門で民主化デモを行っていた学生たちが、中国人民解放軍に銃で撃たれたり、戦車にひかれたりしている様子が映されていました。自分と同じ時代に生きる同じ世代の人たちが、文字通り体を張って何かのために行動している姿は、私のその後の人生に大きく影響した気がします。
大学では国際法を専攻し、国際法を専攻し、国際安全保障について学びました。当時は湾岸戦争が起こり、カンボジア、ボスニア、ソマリアなどでの国内紛争と平和構築が注目を集めていました。
大学を卒業した直後の1994年4月、アフリカのルワンアデ「ジェノサイド」と呼ばれることになる大領虐殺が起きました。それをきっかけに、紛争地域で活動するNGOの活動に関わるようになりました。
◇経歴
1994年のジェノサイド後のルワンダにおける平和構築活動を行うアフリカ再建委員会(ARC)の創設に参加し、NGO活動の道に入る。インターバンドでは、東ティモール、タイ、カンボジアなどでの国際選挙監視活動に参加。2010年から、NPO法人インターバンド代表。またロヒンギャ難民キャンプでのファクト・ファインディング(実態把握)なども実施。その成果とロヒンギャンミン問題の展開については、『ぼくはロヒンギャ難民。-差別され、迫害され、故郷を追われた人びと』(合同出版)にまとめられている。また、大学教員として、紛争地域や平和構築の調査研究を行う。NGOでの活動と大学での研究を車の両輪のようにし、暴力を経た社会における和解と共存をテーマとする。大学では、アジアやアフリカの開発途上国や紛争経験国に大学生を引率する海外実習プログラムを多数企画。これまでに早稲田大学、東京外国語大学、大阪大学、立教大学に勤務し、海外実習プログラムに参加した卒業生の中には、国際機関、政府開発援助機関、NGO、国際開発コンサルタント会社、総合商社など、国際的に活躍する者を多数輩出。
理事
吉村 誠司
一般社団法人
OPEN JAPAN顧問
理事
小川 秀樹
監事
萩原 大地
監事
飯島 毅
看護師
カメラマン